彦ちゃんの河内歴史話井戸 第82話
小楠公(楠木正行)のように正しく行こう。
私たち南河内の住人にとって楠公さん(楠木正成=大楠公)は馴染みの深〜いお名前ですね。千早赤阪村には建水分神社。富田林市には楠妣庵観音寺。河内長野市には観心寺と関連の史跡や神社仏閣を言い出したらきりがありません。
細かい話になりますが、私の住む藤井寺市の葛井寺には境内に大楠公のお子さんたちにまつわる「旗掛けの松」が在り、小山産土神社には小楠公(正行)さんとの「桜井の別れ」の絵馬が掛かっています。
もう700年近くも前に亡くなられた方々への熱い思いが今も綿々と続いているんですね。
実は2月末に奈良県・吉野山の如意輪寺(後醍醐天皇の墓所)に出向きました。知人の強烈な正行ファンが辞世の歌碑(写真)を個人で建立されました。それはそれは見事なものですよ。この方は東京の方なんです。
辞世は「かえらじと かねておもえば 梓弓 なき数に入る 名をぞとゞむる」
戦いに向かうに当たり再び帰れないとの決死の気持ちを詠んでいます。
冒頭で、馴染みの深〜いとは書きましたが、楠公さんと言っても今の学校では習わない人物のようで、ある年代以下の方は「知らな〜い」との声が返って来そうです。事実、「桂 南光なら知ってるけど」と言われた事があります。
それでも、この建碑の事が如意輪寺のフェイスブックにアップされると直ぐに三桁の「いいね」反応が起き、今もアクセスされる方が続いています。
これを書いているときに、2027年のNHK大河ドラマが小栗上野介忠順に成ったことを知りました。小栗も幕末維新史ファン以外で知っている人は少ないでしょう。でも、これを機に関連地は大盛り上がり間違いなしです。
ということで、南河内でもこの回を読んで新たに楠公さん父子に関心や興味を持つ方が現れてくれることを願っています。
天誅(忠)組記念館
tencyuken@gmail.com(不定休)
藤井寺市小山5-8-33 テックハイム小山1階
入館料/賽銭・カンパ方式