彦ちゃんの河内歴史話井戸 第37話
発想力次第で、いつもの前方後円墳が善宝交縁奮になるかも。
意外や前号の古墳でのワンちゃんコンビの写真は結構な反響が有ったそうな。正にスマイリング・シンデレラ。
脱サラしてから、毎月の講座や書き物のネタ探しに歩き回ることは欠かせませんが、出会った方々への自己紹介で「大阪の藤井寺から来ました」って言うと、「あの世界遺産の」って言われることが増えてきました。ただし、出てくる古墳は仁徳(大仙)陵だけです。残念ながら堺市の古墳なんですよね〜。
さて、この連載でも何度も登場して貰っています河内の偉人・伴林光平さんは長年の地道な(古墳群の)調査活動が時の天皇の耳にも達して、お褒めの言葉(御沙汰書)をいただきました。明治維新の5年前、文久3年(1863)2月の事でした。あまりの感激にか、いただかれた御沙汰書の写しも残されました(写真)。多分、天にも昇るお気持ちで何枚も何枚も書かれたように私は思います。
その一枚が奈良県葛城市の受福寺に今も残っていて、寺の栞にもなっています。しかし、時は激動の時代、その半年後には倒幕派の天誅(忠)組に記録方として加わりました。敗走後は奈良奉行所を経て京都の六角獄舎で同志と共に最期を迎えられました。ちょうど御沙汰書から一年後の2月でした。
この伴林光平先生の御誕生日は9月9日です。この寄稿の掲載が9月号との事ですから、ここまで話を引っ張りましたが、生家(藤井寺市林の尊光寺)の前にはその誕生を示す石碑が建っていますから、9月中に近隣の古墳巡りをされる際には是非、お立ち寄りくださいね。
最後に私論を。同じ前方後円墳でも他所と異なる発想なら「初めての訪問者が善き宝に感じ、その場での新しい交わりが縁を生み、以後は誘い合って奮ってきてもらえる」場所になるかもよ。
天誅(忠)組記念館
☎090-5010-3995(予約優先)
藤井寺市小山5-8-33 テックハイム小山1階
10:00~12:00、13:00~16:00
水曜休/賽銭・カンパ方式