PIZZERIA E OSTERIA MASSIMO オーナーシェフ 真喜志 泰洋さん no.223
一番人気は「マルゲリータクラシカ」
オリオンビールとどうぞ!
大阪狭山市の住宅街に、地域内外から多くの人が訪れる小さなイタリア料理店がある。2018年3月にオープンした、「PIZZERIA E OSTERIA MASSIMO」だ。「目指したのは、普段使いができるお店。敷居が高くなく、気軽に食事に来ていただけるお店です」。そう話してくれるのは、オーナーシェフの真喜志泰洋さん。白を基調にした温かみのある店内は、オープンから2年にして、ここのお料理と雰囲気に魅了された人たちで、つねに賑わいを見せている。
注目は、薪窯で焼きあげる本格ピッツァ。厨房の中には、丸みを帯びた大きな薪窯が設置されている。「ガスの窯もいいものがあるのですが、やはり薪窯は焼き上がりが違うので、絶対に薪窯を使いたかったんです。外側は土管のような形態で、中に耐火レンガを積み上げていくのですが、東京から専門の職人さんに来ていただき、組み立ててもらいました。完成した時は感無量。僕にとって、窯は〝相棒〟です。料理人にとっての包丁、のようなものなんです」
その窯で、生地から手作りしたピッツァが絶妙な焼き加減で膨らむ。窯の温度を判断して絶妙のタイミングで取り出すと、外はカリカリ、中はふんわり……の最高の1枚がアツアツのままテーブルへ。豊富に揃うピッツァメニューの中でも一番人気は「マルゲリータクラシカ」だ。水牛モッツァレラチーズが使われ、柔らかな味わいが口に広がる。
同じ型であっても、窯には一基一基にに微妙な個性があるという。「だから、最初は扱い方が完全にはわからない。特に完成したての窯は水分を含んでいるので、温度も上がりにくいんです。水分を飛ばすために、オープンの2〜3週間前から火入れ作業をしましたが、それでも最初はなかなか思い通りには焼けなかったですね。日が経つにつれ段々と馴染んで個性もわかり、その個性を活かせるようになったという感じです」
じつは、真喜志さんはこのお店をオープンする前に、ピッツァづくりの世界タイトルをもつ職人のもとで修業を積んだ。そのスキルとノウハウ、そこに真喜志さん自身のアレンジが加わり、MASSIMOの1枚が焼きあげられる。「粉は熊本産です。以前、熊本に行く機会があり、そこで小麦の生産者さんと出会ったのが縁で使っています」
また、沖縄出身ということもあり、沖縄の食材をイタリアンにも活かす。「沖縄の食材って、聞いたことはあっても食べたことがないという方も少なくないんですよね。僕としては地元・沖縄産の食材を知っていただきたいということもありますし、お客さまにおいしいものを食べていただき、喜んでもらえたらうれしいので」
キッチンカウンターには、オリオンビールのサーバーも設置。「営業担当者さんによると、イタリアンでオリオンビールの生ビールを飲めるのは、西日本ではここだけらしいです(笑)。この組み合わせ、なかなかないのではないでしょうか」
ホールを担当するのは、妻の裕美さん。にこやかな笑顔と細やかな心配りで、居心地のいい時間を作り出してくれると評判だ。その丁寧な接客は、アパレルやレストランでの勤務経験が生きているという。
お客さんと会話できるのが嬉しい
今年はイベント出店も計画中
そもそも真喜志さんが料理の道へと進んだのはなぜだろう。「小学生の時、お菓子を作る機会があったんですが、とっても楽しかったんですよ。できあがったものを食べるのもおいしいですし。それで、将来はお菓子職人になりたいと思っていたんです」
高校卒業後は沖縄から大阪へ。製菓の専門学校に通いたいという思いもあったが、親のアドバイスもあり調理師学校へ入学。1年間の課程を終えると、いよいよ料理人としてスタートを切った。「パスタやピッツァが好きだったこともあり、最初の頃はイタリアンのお店を転々としました」。そして20歳の時に結婚。子どもが生まれたこともあり、収入を得るために一時的に居酒屋などでも働いたが、生活が落ち着くのに合わせて再びイタリアンの道へ。
いつかは自分のお店を持ちたい——。そんな思いは大阪へ出てきた頃から抱いていたという。「30歳とか35歳とか、そういう節目の年に独立したいという目標はあったものの、料理は知れば知るほど奥が深くて、突き詰めれば突き詰めるほど先があって、なかなかタイミングがつかめなかったんです」
そうして少しずつ独立の準備を始め、2017年からは物件も見て回り始めた。そして、裕美さんの出身地でもある大阪狭山市で出合ったのが、現店舗だ。
「MASSIMO」とは、イタリア語で「最高」「最大」という意味だという。「お越しいただいたお客さまにそういう気分になっていただけたらという思いを込めました。僕はそのために、料理を作り、サービスをしています」
日々忙しい仕事だが、お客さまが「おいしかった」と笑顔でお店をあとにしてくれる瞬間に疲れが吹き飛ぶ。「自分でお店を始める前は、ずっと厨房で料理を作り続けていたのでお客さまと話せる機会も少なかったんですね。それが今は、しっかりと顔を見ながらお話ができるのがうれしい」
オープンから2年が経ち、近隣で働く人や暮らす人との距離も縮まった。「お店が休みの日でも仕込みなどで来ていることが多いのですが、そんな僕を見て、『休みやのに、おる!』とか(笑)。『がんばってるなあ』『からだ、気をつけや』とか声を掛けてくださって、そういう、この町の人たちとのおつきあいもとても励みになっています」
3年目に向けて、挑戦してみたいことは何だろうか。
「これまでは日々のお店の営業に精いっぱいで、イベント出店などは難しかったんです。が、『炭火焼イタリアンラ・パーチェ』の長崎祥之シェフとともに、飲食で町を盛り上げていけたらいいですねという話をしていて、今年は地域イベントなどにも出店したり、お客さまと一緒に楽しむバーベキュー大会を開催したり……、そういったこともできたらいいなあと考えています」
そしてさらにその先の目標、10年後の夢を尋ねてみた。「僕も多くの方に支えてもらい、応援していただいたので、10年後は、僕がこの町で新しいお店を始める若い人などを応援できるようになっていたい。経験をしっかり積んで、必要なアドバイスができるような力量を備えていたいと思います」
(ライター 松岡理絵)
らくうぇる。WEBサイトに掲載している文章・画像の無断転載を禁止します。