彦ちゃんの河内歴史話井戸 第54話
あの松陰先生の足跡を紹介しましょうか。
新シリーズの第一回は、「天外者(てんがらもん)」の主人公・五代友厚さんでしたが、年末25日の本紙発行直後から多くの反響をいただきました。そして、その中から明け2日に羽曳野市から来館されたご家族が、令和3年の一番乗りとなりました。
その時の来館者の女性が館内で吉田松陰と書かれた表札(昔、萩で買った土産品)を観られていたんですが、実は松陰先生は大和川を渡って南河内に入り、大和(奈良県)へ向かわれています。その際の旅日記(「癸丑(きちゅう)遊歴日録」)に、「寺は一大伽藍なり、以て地名と為す」と葛井寺(藤井寺)の事を書かれています(嘉永6年2月12日の項)。そして「野中、古市の諸村を経て、再び大和川(石川の誤り)を渡る。(中略)春日に至る。大坂を発してよりここに至る七里(中略)一阪あり、竹内越(たけうちごえ)といふ。阪下に山田村あり。阪の頂を河内・大和の界と為す。」と続きます。(参考資料:「吉田松陰〜五條のこと、天誅組のこと〜」北浦康男氏)
いや〜、日本史の好き嫌いに関係なく、大概の方がお名前だけは知っている松下村塾(しょうかそんじゅく )や吉田松陰が身近になってきませんか。余談ですが、奇兵隊で有名な高杉晋作や久坂玄瑞などを育てた、この吉田松陰の御兄さんの御子孫が羽曳野市にお住まいなんですよ。
最後に前話の補足等です。4段目の「東の渋沢、西の五代」は先に「西の五代」が良いらしいです。この渋沢さんは、次の大河ドラマの主人公です。また、阪堺電車ですが、創立には五代の娘の養父が関わっており、五代さんは阪堺鉄道(現・南海電鉄)に関わっておられます。本当に有難いことに、読者の方々からこのような貴重な情報が早々に届きました。
天誅(忠)組記念館
☎090-5010-3995(予約優先)
藤井寺市小山5-8-33 テックハイム小山1階
10:00~12:00、13:00~16:00
水曜休/賽銭・カンパ方式