彦ちゃんの河内歴史話井戸 第55話
オダサクの文学碑は本町に在り。
昨年の秋、当館主催のJR玉造駅集合、近鉄上本町駅解散の『天誅(忠)組ウォーキング』を行いました。伴林光平先生の親友兼パトロンであった佐々木春夫さんの墓所である全慶院に向かっていた際に、参加者の一人から「え、ここ寄りませんの?」との声が上がりました。ちょうど楞厳寺(りょうごんじ:天王寺区城南寺町1–26)というお寺の前でした。ここに織田作之助さんが眠って居られるんですね。この方は南河内にも御縁があるんですよ。
(〝織田作(おださく)〟と呼ばれ、親しまれていた作家をみなさんはご存じでしょうか。大阪庶民の風俗を描いた『夫婦善哉(めおとぜんざい)』の作者です。大正2年大阪市内に生まれた作之助は、昭和22年、東京にて34歳の若さで亡くなりますが、その2ケ月前まで、富田林寿町の実姉、竹中タツさんのお宅(市立第一中学校の北側)に身を寄せ、当家の一室で、絶筆となる『土曜夫人』を執筆していました。
「ひょろっと背の高い、髪のボサボサの先生が、夜中に終電車で帰ってきては、家に入らんと家の横の溝で長い小便をよくしてましたな。やはり、居候の身やから気兼ねしてはったんでしゃろな。」「よく、青白い顔をした先生が、寺内町を散歩しているのを見ましたなぁ。」そんななにげない話から、織田作之助の人柄が忍ばれます。残念なことに、現在は、タツさんもお亡くなりになり、お宅も取り壊されて、当時の面影はありませんが、感慨深いことです。)(富田林市公式ウェブサイトより)
なんと私は市立第一中学校の卒業生ですし、織田作之助さんが「天誅組」をお書きに成る構想をお持ちだったことも知り、驚きと共に未完が残念で堪りません。
今、富田林駅から一直線の本町公園内に文学碑(写真)が建っています。
天誅(忠)組記念館
☎090-5010-3995(予約優先)
藤井寺市小山5-8-33 テックハイム小山1階
10:00~12:00、13:00~16:00
水曜休/賽銭・カンパ方式