彦ちゃんの河内歴史話井戸 第61話
新選組=「池田屋事件」。そこに関係者が。
前号をご覧になった方が「小春ちゃん亡くなっていたんですね」と驚かれていました。また、この7・8・9月と大和高田市の「FMヤマト」さんに出演する機会があり、パーソナリティーの方に一部お渡しすると「赤毛のアンは大好きです」との声が。この方は前の市立図書館長ですから児童文学にお詳しいんです。短い文章の連載ながら、こうして話の輪(ご縁)が出来ていくんですね。
この大和高田にご縁のある人物に梅田雲浜という幕末の偉人がいます。この人の友人が、第57話でご紹介の富田林の寺内町に滞在した森田節斎です。その弟子が吉田松陰。この松陰の友に肥後(熊本)の宮部鼎蔵がおり、宮部から兵学を教わったのが松田重助。まるで、「いいとも〜」の世界ですね。
宮部も松田も富田林に来ています。松田は27歳の時に富田林に来て地元の豪農・水郡(にごり)善之祐と意気投合。湯浅権之介と変名して丸3年も私塾を開いたそうです。その後は、波多野右馬之助と名乗って十津川方面の情勢調査にも出向いたとのこと。
いい話が。松田は山田村(太子町)に在った円明(妙)寺の秦 正順の娘、繁野さんを娶っており、そのお寺の場所(佛陀寺前の駐車場)には、「天忠組松田重助先生位牌所」と彫った石碑が建っています(写真)。
実は松田は水郡たちが参加した天忠(誅)組の蜂起(1863年)には、理解しながらも「時期尚早」と反対の立場で不参加でした。ところが、なんと翌年に京都で起きた、新選組を一躍有名にした「池田屋事件」で師の宮部共々果てます。華々しい活躍の場は無くなりました。
そこで、元々水郡らとは心が通じあっていたことから、天忠組の一員として碑に残したと私はみています。河内人の優しさかと。参考文献「新・邂逅」第21号
天誅(忠)組記念館
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