彦ちゃんの河内歴史話井戸 第62話
選組の続編で、年に続く。
前回(10月)号で「新選組」に触れましたが、コロナで延び延びになっていました映画「燃えよ剣」も上映されましたね。私も11月1日にアポロシネマで観てきました。
ご存知の方もおられますが、柏原市から隊士が出ています。『名を大谷良輔(藤原義則)といい、慶応元年3月4日に京都壬生前川邸にて死す』と「歴史と旅」昭和63年3月号には出ています。同じ地域から、この大谷さんとは全く立場の異なる天誅(忠)組に田中楠之助という若者が出ていますから興味深いですね。
実は、柏原市立歴史資料館にて平成25年度秋季特別展示として「天誅組・新選組と柏原」が開催されました。その時の展示物等の詳細が『柏原市立歴史資料館・館報第26号(2013年度)』(写真)に載っていますので、手に取ってみていただきたいと。有難いのは、この館の発行物はリーズナブルです。
この中で、大谷さんは南法善寺村の庄屋を継いだ折には良助で、新選組入隊後に良輔と名乗ったとあります。また死因は不明で、自害させられた可能性も指摘されています。あの有名な厳しい「局中法度」をご存じの方なら「それもあるか」って勘繰りますよね。
お墓は神宮寺墓地(八尾市)の高いところに在ります。私も2度おまいり致しました。墓碑には大谷有知と彫られていました。
また、田中家は勿論、この大谷家とも伴林光平さんは入魂で、手紙も残っています。興味深いものに、大谷家から当時流行っていたコレラ対策を依頼されて、治療法を事細かに書き送っています。「歌人」、「国学者」、「山陵家」、「勤王の志士」だけでも凄いのに、医療にまで知識がお有りだったんですね。ただ、この事は内密にと書かれていて、自信の程がどんなものだったのかと(笑)。では皆様、新鮮な良い年をお迎え下さいね。
天誅(忠)組記念館
☎090-5010-3995(予約優先)
藤井寺市小山5-8-33 テックハイム小山1階
10:00~12:00、13:00~16:00
水曜休/賽銭・カンパ方式