彦ちゃんの河内歴史話井戸 第65話
南河内にも在った「北条家」。今、大阪狭山市が旬。
去る4月7日は当方の開館記念日でした。当日は知人と上赤阪城跡やこの連載でも取り上げました腰神神社など、楠公さん所縁の地を巡りました。
下赤阪城跡には何度も出向きましたが、上赤阪の方は初めてでしたので、楽しみでした。暑いくらいの快晴に恵まれ、山道を登りました。頂上には大小二つの石碑が建ち、見晴らしも最高ですね。
このように私たちの住む南河内には、沢山の楠公さんの旧跡(史跡、戦跡)が在ります。
その一方で楠公さんとは敵対するのが、今年の大河ドラマになっている鎌倉殿を支えた北条氏。うん?そういえば大阪狭山市は江戸時代は狭山藩といって北条氏でしたね。市のHPで専用のパンフレットもあることを知りました。そこには「江戸時代、狭山池のほとりには、狭山藩北条氏の陣屋がおかれました。戦国時代に小田原を本拠地とし関東を治めた北条氏の末裔は、江戸時代には狭山藩の藩主として幕末まで生き抜きました」とありました。現在は3種類(写真)あるとの事で、市役所の教育委員会で貰ってきました。
なるほど、狭山藩の北条は小田原北条氏(後北条)ともいい、鎌倉殿の北条氏(鎌倉執権北条氏)とは直接の血縁関係が無いんですね。取材している自分が一番勉強させてもらっていると感じました。
手元に読売新聞の「ええやん!日本史アップデート」という連載の「楠木正成」の巻があるのですが、そこには「(楠公さんの)ルーツは駿河で、北条氏惣領家の配下、あるいは御家人であったが、鎌倉幕府を裏切って後醍醐天皇に仕えた」、「正成自身は河内の千早赤阪で誕生した」などの最新説がたっぷりでした。
幕末には天誅(忠)組一行も狭山を通っていますし、皆さんもこの機会にじっくりと大阪狭山市を探訪されませんか。
天誅(忠)組記念館
☎090-5010-3995(予約優先)
藤井寺市小山5-8-33 テックハイム小山1階
10:00~12:00、13:00~16:00
水曜休/賽銭・カンパ方式