彦ちゃんの河内歴史話井戸 第66話
南河内の勤王の志士は御祭神なんです。
去る7月5日、大阪市住之江区に在ります大阪護国神社で「第三回天忠組河内志士慰霊祭」(写真)が行われました。
お祀りされています志士は、森元伝兵衛、和田佐市、辻幾之助、長野一郎、武林八郎、田中楠之助、水郡(にごり)善之祐、吉年(よどし)米蔵、秦将蔵、伴林(ともばやし)光平の10名になります。
志士各人につきましては「天誅組河内勢の研究」というとても詳しい本が、近隣の図書館にあると思いますし、ネット検索でも見つかるかと思います。
要は文久3年(1863)に、幕府に対して立ち上がった世直し集団であり、誰言うとなく「天忠(誅)組」と呼ばれました。また、僅か40日で壊滅しましたが、この行動が討幕運動を加速させ、5年後の明治維新に繋がったことで「魁(さきがけ)」とも称されています。
この方々の地元は現在の富田林、河内長野、柏原、藤井寺の各市や河南町等になり墓所や記念碑、顕彰碑もあります。私は勿論ですが、関係者やファン御依頼のガイド役でも出向いてきました。
実は、彼ら天忠組志士の憧れの人物が楠公さんであったことから、千早峠を越えて大和五條に向かう途中、観心寺の楠公首塚前で戦勝祈願をしています。傍に顕彰碑が建っているのもそのためです。
今回、河内の志士たちが御祭神として大切にお祀りされている場所が大阪護国神社であることを書きましたが、是非同郷の皆さんに参拝していただけたらな〜との思いです。きっと郷土からの参拝者を空から喜んでご覧になることでしょう。
なお、天忠組という呼び名は後付けであり、忠の部分に誅、柱、朝、仲、中、珠、討を使った記録もあります。記録方であった伴林光平は天忠組で記録していますが、陣中から友へ出した手紙には自らを皇軍御先鋒と書き送っていますよ。
天誅(忠)組記念館
☎090-5010-3995(予約優先)
藤井寺市小山5-8-33 テックハイム小山1階
10:00~12:00、13:00~16:00
水曜休/賽銭・カンパ方式