今月の人

歌ひと筋に歩んできた50年歌うことも教えることも大きな喜びです

プロフィール
プロレスラー・俳優
東京都在住
藤原喜明さん(昭和24年生まれ)
岩手県北上市出身。黒沢尻工業高校を卒業後、会社勤務等を経て23歳で新日本プロレスに入門。31歳のとき、米国フロリダのカール・ゴッチ氏に師事、関節技を学ぶ。84年にUWFに参加、91年に藤原組を設立。若手レスラーの指導のほか、海外のレスリングセミナーの講師も務める。趣味は陶芸、イラスト、盆栽など数多い。

■俺は生涯、プロレスラー。その気概は持ち続けていたい

「関節技の鬼」と呼ばれ、対戦相手を震え上がらせ続けてきたプロレスラーの藤原喜明さん。本物の「強さ」という土台の上で、美しく技を決める、そんな80年代のプロレス黄金期を彩った名戦士の1人だ。すでに還暦を迎えてはいるものの、今なおハードなトレーニングを欠かさず、身長185センチの迫力ある姿は健在。リングに上がれば、現在もいぶし銀の技で観客を魅了してくれる。
「一生、レスラーでいたいね。引退なんて言葉を使ってしまうと、その途端に気持ちが萎えてしまって心も体もガラガラと崩れ落ちそうな気がするんだ。だから、俺は生きてる限り引退はしないよ。生涯プロレスラーなんだと、そういう気概だけはいつまでも持ち続けていくつもり」
 会社員やコックを経て、新日本プロレスの門を叩いたのは23歳のとき。恵まれた体格に加え、子どもの頃から「強くなりたい」と剣道やボディービルで体を鍛えていたこともあり、なんと入門からわずか10日目にデビューを果たしてしまう。しかも前座の試合ではなく第4試合という異例の抜擢。すでに誰もが一目置くほどの実力を備えていたのだ。当時の新日本プロレスは、過酷ともいえるほどのハードな練習に根を上げて辞めてしまう入門者も多かったという。そんな中で人一倍稽古に打ち込み黙々とテクニックを磨いていた藤原さんは、アントニオ猪木氏から絶大な信頼を受け、付き人にも指名された。
「付き人をする中で、レスラーとしても人間としても学ぶことは多かったね。それに、誰かに信頼されて必要とされるってことは、人としての誇りになる。どんな形でもいい、必要とされる人間になるってことは大切だと思うんだ」
 31歳のときに渡米し”プロレスの神様“カール・ゴッチ氏の道場で関節技の神髄を学んだ。その日の稽古で教わったことは、毎夜、得意のイラストとともにノートにメモを取った。それを清書し直したものが09年12月に『復刻—幻の藤原ノート』(講談社)として書籍化されたが、発売から1カ月を待たずに重版が決定。後輩レスラーたちから教えを請われ続ける藤原さんの、関節技の秘伝が詰め込まれたプロレスファン垂涎の1冊なのだ。
「関節技は力学のテコの原理を応用した技なんだよ。俺は工業高校出身だから、力学は得意分野でね。そして何より、関節技はアート。完全に極めて、相手に『参った』と言わせる。それが美しいんだ」
 今回、富田林でのサイン会を企画したのは、幼少の頃からプロレスが大好きだったという富田林市の「くまざき歯科」の熊崎眞義院長。大阪を拠点に活躍中のプロレスラー・泉州力さんを通じて藤原さんと親交があったのが縁で実現した。「歯科医もお客(患者)さんとのコミュニケーションが欠かせないサービス業です。鍛え抜かれた体、磨き抜かれた技、そして、観客を喜ばせようとするプロ意識。そんなプロスポーツ選手の姿勢からは、大いに学ぶことがあると感じています」と熊崎院長は話す。

■闘病中の方や同世代の方の少しでも励みになりたい

 じつは藤原さんは、07年10月に胃の半分を切除する大手術を経験した。何気なく受けた検査で、ステージ3の胃がんが見つかったのだ。「だから、一時的にだけどプロレスを”胃がん退職“したんだよ(笑)」。術後、「痛くありませんか」と聞く看護師に「大丈夫」と返事をして、4日目までモルヒネを打つことなく痛みに耐えた。また、術後8日目には歩行トレーニングやプッシュアップを始めるなど、入院生活も少々型破りだったようだ。がんと闘う中で、藤原さんを支えていたのは、「俺はプロレスラーだ」という思い。退院後は抗がん剤を飲み続けながら、トレーニングを続けた。そして、08年末には同じくアントニオ猪木とカール・ゴッチを師とする初代タイガーマスク(佐山聡)との一騎打ちでリングに復帰。試合後は感極まって涙を流した。
「今、こうやって無事に生きていることに感謝したい。これまでの人生で出会った人、経験したこと、もちろんプロレスにも……すべてに感謝の気持ちでいっぱいだよ。ファンの方が、俺がもう覚えていない昔の試合のことでも、こと細かに記憶してくれていて応援してくれているのは本当にうれしいし、ありがたいなあと感じるよ」
 プロレスだけでなく、俳優や声優としても活躍中の藤原さん。趣味の陶芸歴も17年となり、個展を開くほどの腕前だ。10代の頃から独学で描いてきたというイラストにも定評がある。近頃は盆栽にも傾倒しているといい、関節技を極めたアートな感性はさまざまなところで発揮されているようだ。
「これからはとにかく何事にも一生懸命に生きていきたいね。がんの手術をしたけれど、今おかげさまでこんなに元気でやっていられる。60歳を過ぎても、いろんなことに興味を持って楽しく過ごしている。病気を経験した方や同世代の方に、少しでも励みに思ってもらえるように、俺もまだまだ元気でがんばっていきたい。それが今後の目標かな」
 ただ強さを追求するのではなく、そこには一貫した美学がある。一見、こわもてだが、話し始めると冗談を交えながらつねに笑顔。「組長」と呼ばれて慕われている理由がわかった気がした。