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太子街人の会と歩く「太子町」Vol.2

南河内郡太子町「叡福寺」

豊かな緑と澄んだ空気に包まれた、大阪府の東南部に位置する南河内郡太子町。
訪れる人をどこか懐かしい気持ちにさせてくれるこの町は、府内有数の史跡を有し、
全国各地から歴史愛好家がやってくるほど。
今回、地域の観光ボランティアガイドの方に案内していただきながら、
空海や親鸞ら多数の高僧も訪れた聖徳太子信仰の霊場「叡福寺」へ!

聖徳太子の墓を守るため推古天皇が建立したお寺

叡福寺 金堂 太子町ハイキングのスタート地は、府指定史跡でもある叡福寺。号は磯長山といい、「御廟寺」「上ノ太子」とも呼ばれるお寺だ。御廟寺と称されるのは、寺のすぐ北側に聖徳太子が眠る墓があるから。その墓を護るために伯母の推古天皇が建立し、奈良時代には聖武天皇によって大伽藍が整備されたと伝わっている。「平安時代以降、聖徳太子信仰の霊場として、大変栄えたお寺なんですよ。戦国時代には織田信長による焼き討ちに遭って全焼したのですが、その後、豊臣秀頼が聖霊殿を再建、徐々に復興していきました」とガイドの松永さん。

 駐車場からつながる石の階段をのぼると、まず迎えてくれたのは朱塗りの南大門。現在のものは昭和33(1958)年に法隆寺の南大門を模して再建されたものだそう。ちなみに、その門に掛けられている扁額の揮毫は、再建時の総理大臣、岸信介の筆によるもの。左右には迫力ある金剛力士像が構えている。門をくぐると広い境内が広がり、静寂が心地よい。耳を澄ませば鳥のさえずりも聞こえてきて、立っているだけで心が落ち着いていくようだ。
すぐ左手には重要文化財に指定されている多宝塔。高さは約18mで、青空を背に伸びやかに建つ姿はとっても美しい。「見ることはできないのですが、内部には釈迦尊像と大日如来像等が安置され、4本の柱には四天王像が描かれているんですよ」と松永さんが教えてくれた。そして、その北側にあるのが金堂。その奥に建っているのが、こちらも重要文化財に指定されている聖霊殿。聖徳太子の十六歳像が祀られており、太子堂とも呼ばれているそうだ。

叡福寺 南大門

叡福寺 南大門
この石段をのぼったところにあるのが南大門。春には桜がきれいに咲き、さらに趣のある風景を見せてくれる

叡福寺 多宝塔

叡福寺 多宝塔
承応元年(1652年)に江戸の三谷三九郎によって再建される。近世では正統派に属する端正な多宝塔で、細部の彫りもじつに美しい

叡福寺 南大門 仁王像

叡福寺 南大門 仁王像
向かって左側が吽形(うぎょう)、右側が阿形(あぎょう)。鬼気迫る厳しい表情でお寺を守っている

聖徳太子御廟 結界石

聖徳太子御廟 結界石
御廟を取り巻く2列の結界石。内側は空海が並べたといわれている。嘘か誠か、「何度数えても数が合わない」というのも七不思議の1つ


荘厳な雰囲気漂う御廟七不思議の伝説も!

 南大門をくぐったときに正面に見えたのは、聖徳太子御廟へと続く二天門。この門を抜けると、目の前にこんもりとした古墳が現れる。これが、聖徳太子が母の穴穂部間人皇女と妻の膳部菩岐々美郎女と一緒に眠ると伝えられる「叡福寺北古墳」だ。直径約55m、高さ約7mの円墳で、豊かな緑に覆われている。前に立つだけで、とっても厳粛な気持ちになっていく。「明治時代に内部の調査がおこなわれ、横穴式石室の中に棺が3つあることが確認されたんです。調査後はしっくいで塞がれてしまったのですが、それまでは誰でも自由に出入りできたそうですよ」と松永さんがすかさず解説してくれる。

 さらに、空海が設けたといわれる結界石や聖徳太子の遺言が書かれているという石碑など見どころは尽きない。また、この御廟には「松や笹が生えない」「鳥が巣をつくらない」といった七不思議があると囁かれている。真偽のほどは不明だが、無数の伝説を持つ聖徳太子のお墓だけに何かありそうで興味深く思えた。

 続いて向かったのは、隣接する浄土堂。聖徳太子の霊験にあやかろうと、古来から叡福寺には空海や親鸞、一遍、日蓮など名だたる高僧が訪れた。空海は、この浄土堂で修行を積んだそうだ。叡福寺は、とにかく歴史上のエピソードが満載のお寺なのだ。

科長岡神社

科長岡神社
叡福寺の境内社。「科長」と書いて「しなが」。『古事記』ではこの字があてられているが、『日本書紀』からは「磯長」が使用されている

聖徳太子御廟(叡福寺北古墳)

聖徳太子御廟(叡福寺北古墳)
磯長山の丘陵を利用した円墳。この地を霊地と感じた太子が、生前にここに墓を造らせ、没後はここに葬るように命じたそうだ

松井塚古墳 石棺

松井塚古墳 石棺
昭和33年に町内の民家で発見されたものを「太子・和みのひろば」に移設。推古天皇に近い高官の墓ではないかといわれている

太子・和みのひろば

太子・和みのひろば
叡福寺に隣接する広場。十七条憲法にちなんだ石碑ほか歴史に関係するモニュメントが多数。毎月第3日曜日(8月・11月を除く)には青空市「たいし聖徳市」を開催中


叡福寺
TEL0721-98-0019/0059
所在地南河内郡太子町太子2146
アクセス近鉄長野線「喜志駅」下車 金剛バス「上ノ太子」行き「太子前駅」下車徒歩すぐ
拝観料200円(宝蔵)/境内自由(参拝の際はご確認ください)